2006北海道 夏 8.5〜8.11

             《6日目A》 襟裳岬 (August 10th)


 向こうに岬の先端が見えてきました。あれが襟裳岬でしょうか?いや,そうに違いありませんでした。
 
 
 


 どうも岬付近はどんより曇っているようなのですが,
しだいに風景は岬の先端ぽくなってきました。

 
 襟裳岬の駐車場へ到着。広島へ電話している女房の後ろに,黄金道路でわたしのレンタカーの2台前を走っていたVW Touranが写ってます。実はわたしの愛車と色違いの同型だったんですが,駐車場に停まってましたので,隣に停めましたら,なんと「山口ナンバー」でした。この車の性格上,まず間違いなく山口からの旅行者だろうと思いましたけど,「いいなぁ,ほんとは,ワシも愛車で来たかった北海道!」 でも,日産マーチで我慢しました。(笑)
 

 
 駐車場に隣接した土産物屋2軒です。女房が大学の修学旅行で来たときには,こんな立派なものはなかったらしく,あまりの変わり様に驚いていました。車を降りていきなり耳に入ってきたのは,森 進一の「♪襟裳岬」(岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲)。曲が終わると,拓郎さん本人の唄も流れてまして,どうやらここでは一日中「♪襟裳岬」が流れてるらしいです。
  でも,曲と曲のつなぎ目(おそらくカセットテープ)で,島倉千代子の「♪襟裳岬」もちょっと聞こえたりして… 以前はそれも流してたんでしょう。どうして,島倉千代子の方は,途中で没になっちゃったの?それとも,日を変えて流してるのかな…
 

襟裳岬灯台

この岬の名前を有名にした二つの歌の歌碑です。
右は,島倉千代子 唄の「♪襟裳岬」歌碑

 
岡本おさみ 作詞 吉田拓郎 作曲 「♪襟裳岬」
  ↑この曲がこの世に生まれてなかったら,
わたしは襟裳には行かなかったかも知れません。いや,行かなかったと思います。
♪えりもの春は何もない春です〜
 この詞から,本当に襟裳は何もない所なんだろうか?と思ったものですが,実際は昆布の一大産地で,豊かな海と今や観光客の絶えない名所
となっていました。でも,観光客いないと寂しい場所には変わりないですね。冬の寒さは厳しいと思いますよ。
 

 
 拓郎さんの名曲がわたし達をここまで来る気にさせたのでした。 たかが唄 されど唄…
いやぁ,とうとう来ちゃったなぁ,ここまで。
拓郎ファンの宿命かも…(笑)

岬の先端部分。ここにはアザラシが生息しているようです。

 さらに,この先にも行けないことはないようでしたが,
止めときました。
もっと若けりゃね〜。
 
 我が家には,岡本おさみ著 「旅に唄あり」という本がありまして,久しぶりに「襟裳岬」についての記述を読んでみました。
 
 岡本さんが襟裳の民宿に泊まった時,夕方ふとんを敷くために,その民宿のおじさんが廊下伝いにふとんを運んできたそうです。ふと見ると,そのおじさんは片腕だった… 片手でふとんを持って,片腕の脇にふとんをはさんで,廊下をひきずりながら運んできたそうです。
 
 岡本さんは,遊びのような旅で来ているので,こういうのに弱い… と書かれてます。
 
 (↓さらに本文を引用)
 「♪日々の暮らしはいやでも」という一行には,その時の印象が残っていて,自分がたどってきたことや,いろんな含みがあるけれど,その一行を思うと,片腕のないおじさんの姿が見えてくる。なぜ片腕を失くしたのか知らない。漁師だったが片腕を失くし陸(おか)にあがらざるを得なくなって,民宿を始めたのかもしれない。本当のことは知らない,が知らなくていいと思う。
 
 さらに,こんな逸話も…
 
 「♪襟裳岬」が巷に流れたころ,「襟裳の春は何もない春です」のあの一行にいろいろとからんでくる記事や人たちがいたそうです。
 
 「襟裳は昆布だってあるし漁も豊かである」 (写真つきの記事で)
 
 「襟裳に何もないとは何事だ。そんなことを言うから若いもんが街に出て行ってしまうんだ。」 (襟裳に住む酔っ払いの男から)
 
 岡本さんは,本の中で,『たかが唄なのだが,勘違いされている方のために自註すると,「襟裳の春は何もない春です」は,「♪日々の暮らしはいやでも」とつながっていて,また春がやって来るけど,年が変わって過ぎ行くけれど,その先は何も変わらないし,暮らしなんて同じくり返しさ,という気持ちを述べたものだった。』と書かれています。
 
 
 旅に唄あり。 唄は,人を呼ぶ力を持ってるんですね〜。
 
 本土最東端の納沙布岬とは,また違った感慨で襟裳を後にしました。
 
  
  ↑実は,襟裳岬を後にして,こんな昆布の天日干し風景をいたるところで目にしました。
 この画像は,ベストなアングルじゃあないんですがね。本当は海側の天日干しを撮りたかったんですよ。この時期,昆布漁は最盛期なんですね?
 
 襟裳には決して何もないわけじゃあなくて,良質の昆布の産地だということは,知ってました。その昔,荒涼としたはげ山だった襟裳の山林に木を植えて,何年か後その植林した山から流れ出す栄養分が良質の昆布を産み出すようになったことも…


     
 ←今度は,日高山脈の西側をひたすら千歳まで走ります。いや〜,この運転は長かった〜