No.21 6日目W(The sixth dayW)
    "They called him “Grandpa”,showing respect."
《August23 : Hawaii's local time》

 1897年(明治30年),その人はハワイ島ナアレフに生まれた。4歳の時ハワイ島を離れ,両親の生まれ故郷・広島に移り住む。
14歳になった時,彼はハワイ島に帰ることになる。さとうきびを植えて生計を立てていたハワイ島の家族を助けるためだった。広島を離れることは,日本に残ることになった彼の兄との別れを意味していた。彼と兄は,別れの記念として,庭に松の木を植えた。

 
Memorial pine trees in Hiroshima(2002)


コナ本願寺にお墓が完成したことを彼が広島へ
知らせた時の写真(1968)

 
9年後23歳で結婚した彼は,妻と共にその後7人の子ども(息子4人,娘3人)をもうけ養う。1977年現在,5世代に渡る彼のファミリーには,24人の孫と28人のひい孫,そして5人のひいひい孫がいた。
彼は,様々な職業に従事した― タクシー・ビジネス,コーヒー農夫,港湾労働者,酪農場の手伝い,そして建設労働者。。。
1956年,引退した彼は,ヒロのライフ・ケア・センターへ移るまで,子どもや孫たちを訪問するためのメインランドへの旅を楽しんだ。
1997年3月ハワイ島の人々は,彼の開拓者精神とハワイ島を住みよい土地にするための努力を称え,さらに感謝の意を込めて,彼の100歳を祝い証書を贈った。
   

1997年6月,彼は100歳の誕生日を迎えた。


100歳祝賀記念の証書

 ハワイ郡より100歳の祝賀記念証書を授けられて3か月後,彼は100歳の誕生日を迎えた。そして,そのわずか1か月後に彼はその100年の生涯をとじた。



※わたしの義父とJacobくんの祖母は,従兄妹同士であり,ここに登場した「その人」は,彼らの叔父にあたります。
 
彼への敬意を込め,人々は彼を"Grandpa"と呼んだ。

墓の完成から35年後,わたしたちは同じ場所に立つ(2003)
墓には,彼と彼の妻の名前が刻まれていました。
(Kona Hongwanji)
I show respect to him by making this webpage.

      あれから92年もの年月が過ぎて今なお残る
           「記念の松の木」(2003)