Maui & Oahu 2007   

             R パールハーバーT (生きて帰れてよかった… なんじゃそれ?)(12/24)

  パールハーバーという所は,やっぱり日本人にとっては複雑な気持ちにならざるを得ない場所です。ですから,始めから行かないと決めている人もいらっしゃいますよね。それはそれで構わないんですけど。その一方で,わたしたち夫婦としては,もう過去に2度も訪れていましたので,「もういいかな。」という思いだったのですが,初ハワイの弟家族が一度は行っておきたいって言うものですから,添乗員役としてはやはり連れて行かないわけにはいきませ〜ん。(笑) 
 実は,弟も小学校の教員なんですよ。わたしたち兄弟もわたしの女房も被爆2世でもありますから,やはりこういう過去の戦争の惨禍に触れることは,どうしても複雑な思いにさせられますが,逆に一度はきちんと自分の目で見ておくっておくことも大切だと思うんです。これってやっぱり職業出とるかね〜?(笑)
 
 さて,この日はクリスマス・イブだったんですが,アメリカのメインランドからの客が多くてですねぇ,アリゾナ記念館は,年に1回か2回あるかないかの大賑わいでした。
 

 
USS Arizona Memorial(アリゾナ記念館) 入り口
 



戦艦ミズーリ博物館前 12:14
アリゾナ記念館の待ち時間の間に行きました。
でも,その前にとんでもない事やらかしました〜
↓↓
 
 まず,アリゾナ記念館の駐車場で驚いたのは,「バッグ類は持ち込まないように。」という注意書きでした。前回行った時は,そこまでの制限はなかったですから。9.11以後,ここまで厳しくなったのか…と思い知らされました。
 アリゾナ記念館に行かれた方は覚えておられると思いますが,あそこでは行ったらまず,受付に人数を伝えて何番目の見学組かが記入された整理券を受け取るんです。というのは,海中に沈んでいる戦艦アリゾナを見学するためには,海軍のボートに乗らなくてはいけません。そのボートは,もちろん乗れる人数に限りがありますから,どうしてもその制限人数ごとの組に分けられてしまうんです。もちろん,受付順にその組が決まっていきますから,早く行けばそれだけ早い時間帯になるわけです。ボートに乗る前には,50分程度の真珠湾攻撃の映画上映があります。
 それでですね,わたし達が受付に行ったのが11時半ごろだったんですが,指定された組は
NO.29の14:45スタート!なんと!3時間待ちですよ。Σ(゚□゚(゚□゚*)ナント!!
 でも,それでもラッキーだったんです。というのは,わたし達が受付けをして間もなく,その日の受付が終了しちゃったんですから。
 《参考: アリゾナ記念館は,国立公園なので無料。》
                   
  もともと,アリゾナ・メモリアルを見学した後,近くにある戦艦ミズーリ博物館へも行ってみる予定でしたので,先にそっちへ行くことにしました。3時間もあれば大丈夫と思いましたので…
 そこで,何を思ったか前回行った記憶もたどらず,車でフォード島へ渡ろうと何の疑問も抱かず,フォード島へ渡る橋まで行ったんです。橋の入り口には,警備員が立っていまして,

警備員:「あんたら,アリゾナ・メモリアルに行きたいん?」
わたし:「そう。」(本当は,ミズーリを見たいと言うべきでした)
警備員:「ここは通れんよ。引き返しんさい!」
わたし:「ええ〜?そんな〜?」

 早口の英語の意味が十分分からないまま,それでも渡ろうとすると,

警備員:ι(`ロ´)ノコノヤロウ!! 「こら〜!スト〜ップ!!なにしとるんなら!渡ったらいけん言うたじゃんか!引き返せ〜!」

 かなりのけんまくで怒るもんですから,仕方なく引き返しました…

 
 それでも,懲りないワシ…(^m^ )クスッ
おかしいなぁ… そっかあ,ミズーリ見たいって言えばよかったんだ〜。 よ〜し,もう一回挑戦! また橋の入り口まで行って,

わたし:(^―^) ニコリ "We wanna go to Missouri." なんよ〜(精一杯の笑顔)。
警備員:(あんたらまた来たん?みたいな顔して) 「ああ,そうじゃったん。でも,それでもここは渡れんのんよ。ミズーリ行きたかったら,見学用バスに乗らんと行けんのよ。」
わたし:(‘0‘@)ハッ!「ああ〜〜っ,そっか,そうじゃったねぇ。」って言いたかったけれど,言葉にならず…でも,表情は(^―^) ニコリで,うなずきながら一言 "Sorry!"
警備員:「やっと分かってくれたん?もうちいと英語勉強しんさい。」(て言いたかっただろうなぁ)
で,実際は,笑顔で"No problem!"

 ああ〜,よかったあ,あのまま渡っとったら撃ち殺されとったかも知れん… (/。\)イヤン!ハズカシイ



ミズーリの甲板上からアリゾナ・メモリアル方向

 

 

↑沖縄戦で,特攻機が突入した部分の凹み
戦死した特攻隊員は,丁重に葬られたそうです。
  



↑左のカミカゼ・アタックの場所からの撮影

1945年9月2日,東京湾上にあったミズーリ艦上にて,
日本側の代表が降伏文書にサインした場所
 

降伏文書調印場所近くの展示物



 調印の場所には,このようなプレートが…

日本側を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表して連合国最高司令官のマッカーサーが「降伏文書」に署名を行い、これによって日本の降伏が法的に確定しました。



日本側代表のサイン
重光・梅津の文字が見えます


降伏文書の資料展示

ミズーリ艦上から,フォード島を撮影

アリゾナ記念館の向こうに,こちらフォード島へ渡る橋が
見えます。


 艦上に日本語ガイドの女性が一人いてくださったので,助かりました。その方の話だと,やっぱりアリゾナの待ち時間の間にこちらを見に来たアメリカ人の客がたくさんいたらしいです。みんな,考えることは一緒ですね?さて,これからバスに乗って再びアリゾナ記念館へ戻ります。13:08